2011年1月5日水曜日

Noblesse Oblige

前回のシャドープログラムのネタがまだ書き残しているけれど、それは明日にでも書くとして

今日は表題の「ノブレス・オブリージュ」について書いてみよう。



意味は「高貴なる義務」という意味なんだけど、

簡単にいえば、恵まれた境遇に生れた人間は恵まれない境遇に生れた人間に対して為すべき義務があることを端的に言うとこうなるらしい。



今朝先輩に借りた田坂広志の「未来を拓く君たちへ」という本でそう綴られている。

これを読んだ時、イスラム教の「喜捨」の考え方に似ているのかもと思った。

誤解を恐れずに言うならば「喜捨」とはお恵みだ。



昔Karimとモロッコの街を歩いていた時のこと。

Karimは恵まれない人を見かける度にこの「喜捨」を行っていた。

僕が「偉いねー」と言うとKarimは「この喜捨は相手のためじゃなく自分のためなんだよ」と。

恵まれた環境に育った人間は、生まれながらにして恵まれない環境に育った人間を守る義務があり

この義務を果たす機会が多ければ多いほど幸せになれると信じている。

だから僕は進んで喜捨をするんだよ、と。



この出来事は人生の中でTop3に入る衝撃だった。

僕らの言う「義務」ってどちらかというと窮屈な印象でマイナスなイメージしかないけれど

Karimにとっては「義務」はむしろ生きる源泉になっているらしい。

僕らは金持ちとか地位とか容姿と言った、どちらかというと絶対的な指標を重視する傾向にある文化で育った。

だから、恵まれた環境に育った人間は何の努力もしなくてもある程度のアドバンスを得ることができるし、

逆に、恵まれない環境に育った人間は死ぬほど努力しないと這い上がれないし、下手すると存在すら否定される可能性がある。

けど、彼らは違う。

生れた環境を相対基準として、そこからどれだけ自身が努力し成長したかが重要視される。

お金持ちもカッコいい人も地位の高い人も、それはあくまで一種の役割であってただそれだけのことなのだという。



この一件以来、僕は何事にもチャレンジするようになった。

失敗を恐れて何もしない、与えられた機会を無駄にする。

これは僕に与えられた義務を果たさないことと同義だ。

日本と言う恵まれた国に五体満足で生れ親の躾と教育のおかげで今の自分がある。

確かにほんのちょっぴり努力したし、少しは自分の与えられた義務は果たしているとは思うけど、

ノブレス・オブリージュにはほど遠い。

せめて、世界中の途上国の人達が努力している分と同じくらいは僕も努力しよう。

チャンスが与えられるのを待っているのではなく自分からそのチャンスを取りに行こう。



たぶんこれが今の僕にできるNoblesse Obligeだ。




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